家族にも日々のいたわりや心遣いを示す

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家族にも日々のいたわりや心遣いを示す

 

家庭にストレスがあると、

決定的な問題となっていきます。

植物に水をやり、肥料をやって育てるように、

家庭にも、日々の挨拶や声かけが必要です。

 

人の縁は、手をかけ、時間をかけなければ育ちません。

他人に対してなら、誰もがそれなりに手間暇かけます。

しかし、家族はそうはいきません。

「家族なんだから、言わなくてもわかるだろう」。

ついそう思ってしまいます。

もしそう言うのであれば、少なくとも相手が「自分はいたわられている」と思えるような態度を、言葉以外ではとっていなければなりません。

そうでなければ、ただの怠慢です。

水をやり、肥料をやって、手をかけないと美しい花は咲きません。

同じように、家族にも、日々のいたわりや心遣いが必要なのです。

いたわりの心を示すには、家族にお礼や挨拶をきちんとすることが基本。

特別なことは不要です。

「おはよう」「おやすみ」と挨拶する。

食事をつくってもらったら「ありがとう」「ごちそうさま。おいしかった」とお礼を言う。

当たり前のことです。

私にとって、それは子どもの頃から「普通のこと」でした。

ふだんから、父が母に対してそのように言葉をかけていたからです。

 

ところが結婚後、驚きました。

妻の友人たちによると、世間の夫はそうではないと言うのです。

「他の男たちは、食事をつくってもらえるのが当たり前だと思っているのか!」と、衝撃を受けたものです。

「ありがとう」とほんのひと言声をかけるのに、「元手」は要りません。

それで家庭がうまくいくなら、いくらでも言えばいいのです。

しかしそんな私も、結婚当初は戸惑いました。

この程度で怒るのかと思うようなことで、妻に怒りや苛立ちをぶつけられ「これは大変だ」とあわてたものです。

しかも、2時間もするとその怒りは消え、「夕飯、何にする?」とケロッとして聞いてきます。

新婚の頃は「あれほど怒っていたのに、二重人格なのかな」と不思議に思いました。

あるとき、妻が特別なのかと先輩に聞いてみたところ、「うちも同じだよ。嫁さんがものすごく怒ってても、2時間も経てば忘れてるよ」と言います。

「ああ、夫婦はどこも同じか」とそのとき気づきました。

先輩は言いました。

「とにかく黙って聞いていろ。嵐は過ぎる。永遠の嵐はない。後は、ふだんから『ありがとう』と言っておけば大丈夫だ」と言うので、本当かと確認すると「俺の40年が証明している」と胸を張りました。

 

だから今も、妻に小言を言われたときは「はい」と大人しくうなずいています。

永平寺では「ダース・ベイダー」とあだなをつけられたほど怖がられていた私が、なぜ家庭では叱られる身なのかと、思わなくもありません。

しかし、それで家庭がうまくいくのならなんの問題もありません。

訓練すれば、たとえ一時的にムッときても、その感情を丸めてポンと放り出してしまえます。

なぜそうできるかというと、「自分とは何か」「死とは何か」という自分のテーマを外さないと決めているからです。

 

もちろん家族は大事です。

しかしテーマを狙うこと以外は、どううまく折り合いをつけていくかだけの話です。

くだんの先輩も、自分自身の仏教というテーマがあるから、家庭で起きる「嵐」を40年間やり過ごしてきたのです。

言うまでもありませんが、夫婦ゲンカで相手に言い返すのは、愚作中の愚作です。

火に油を注ぐ結果になることは、少し考えればすぐわかるでしょう。

そして、夫婦ゲンカを早く収めたいと思うなら、男が黙ることです。

理由のひとつは、男性の理屈は往々にして一本調子で単純なうえに過去の記憶があいまいなので、女性の細かい記憶を動員する多彩な理屈に勝てるわけがないからです。

女性にストレスがあると家庭が壊れる可能性が高くなります。

またもうひとつは、家庭ではあきらかに、女性のほうに負担がかかってくる場合が多いからです。

男は概して、現状を正しく把握していませんが、無給の家事や子育てと有給の職場仕事を比べたら、ひょっとすると労働の量や大変さは家事・子育てが勝るかもしれません。

このとき、それらが女性にかたより、価値が正当に評価されず、さらに夫婦共働きとでもなれば、女性のストレスは男性の比ではありません。

この状況を変えないまま、女性が言いたいことを言えず我慢する構図があると、その関係は破綻する確率が高まります。

事情によって家事・子育ての分担ができないならば、男性(というより、それをしないほう)が黙って譲れるだけ譲るしかありません。

 

家庭にストレスがあると、その人にとって決定的な問題になっていきます。

表面上は元気に過ごしているように見えても、内面で深い問題が進行することになります。

そして問題が表面化したときに手を打とうとしても、遅いのです。

 

家族関係に手間をかけるとは、手を抜かずコミュニケーションを取っていくということです。

毎日、水や肥料をやって花を育てるように、日頃から手間をかけて家族という関係も丁寧に育てていく必要がある。

繰り返しますが、このことは肝に銘じておいたほうがいいでしょう。

コミュニケーションは、訓練しなければ上達しません。

しかし、自分を変えようと思うとつらくなります。

まずは、日頃の挨拶をおろそかにしない。

「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと言う。

それで十分です。

そのうえで、相手に何かをして欲しいと思ったら、まず自分がそのようにすること。

そして、必要に応じて相手をほめたり、提案したり、論したりしてみることです。

それでも、調整がうまくいかないのであれば、やり過ごすことを考えればいい。

やり過ごせないほどの負荷を感じるのであれば、家族であっても距離を置くという選択もあります。

 

自分が何を、誰を、大事にしたいのか。

それがわかっていれば、対処法はおのずと見えてくるはずです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

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最近、電車の中でキレる人を見かけます。

少し前までは、電車の中で暴れるのは酔っぱらいか、普段から暴力的な人と相場が決まっていました。

でも、最近は違ってきています。

しかも、普段はおとなしく、礼儀正しい人なのに、ついカッとしてキレてしまったという人がとても多いのです。

受けたストレスをコントロールすることができず、感情を爆発させ、普段では決してしないような行動をとってしまう、これがいわゆる「キレる」という状態です。

この「キレる」という行為、原因を簡単に言うと、「ストレス」です。

これはまさに「セロトニン神経」の機能低下が原因だと考えています。

 

セロトニンは脳に静かな覚醒をもたらします。

これは別の言い方をすれば「平常心」をもたらすということでもあります。

平常心を保つというのは、脳の切り換えがスムーズに行われ、どこも暴走も興奮もしていない状態のまま、スムーズに働いているということです。

セロトニン神経の機能が低下すると、感情や精神状態を普段の冷静な状態にキープすることが難しくなることは充分に推測できます。

そしてこのことは、キレる人が朝の満員電車よりも、夜の帰宅時に多いということからも証明されます。

 

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

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