日本語の使い手としての使命

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日本語の使い手としての使命

 

稀有な言語を操る民族として、私たち日本人には、世界的に見て何か稀有な役割があるように思えてならない。

 

たしかに、バランスの良さゆえに、イタリア人ほど弾けはしないし、ドイツ人ほど圧倒的でもない。

一つ一つの領域では、もしかすると、世界一位になりにくいのかもしれない。

しかし、二つの言語感性をまたぐ日本語の使い手だけが作りだせる世界観があり、それは、アナログとデジタルの臨界に、大きく存在しているように思う。

 

アニメやファンタジーが創り出す、空想世界と現実世界の不思議なハーモニーも、その一つ。

日本が、この領域で、世界に冠たる存在感を示しているのは、日本語が作り上げた日本語脳のおかげだと私は確信している。

 

また、これから始まるロボット社会。

ヒトの感性に添うようにつくられる、自律型のメカたちを、感性の視点とメカの視点の両方から見つめつくすことができるのも、私は日本語脳の持ち主たちだと信じている。

 

日本語の使い手であることを、私たちは、もっと誇りにすべきである。

感性の二重性ゆえに国際的に伝わりにくく、「国際的といえない」とされる私たちの感性は、デジタルとアナログの臨界を豊かにしていく今世紀に、大きく花開くはずだから。

 

もちろん、すべての言語ごとに、稀有な特性があり、稀有な役割があるのだろう。

 

そう考えると、真の国際人とは、まず、母語をしっかりと獲得しなければ成り立たないような気がする。

その土地で根付き、胎内でその振動にゆられ、生まれたその日から語りかけられてきた言語こそが、その脳の感性を創りあげる。

母語は、人の基本であり、家族の基本であり、国の基本である。

「成熟脳 脳の本番は56歳から始まる より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

その中でも重要なものがビタミンB12なのです。

脳科学の発達によって、さまざまなことがわかり、新たな試みがされています。

 

ビタミンB12について?

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