第6章 めざしたいのは洒脱(しゃだつ)な老人

第6章 めざしたいのは洒脱(しゃだつ)な老人

 

文豪の永井荷風は、耽美的な作品を残す一方で、私娼街に入り浸る生涯を送り、“不良老人の元祖”とも呼ばれているひとです。

 

極端な話かもしれませんが、普通の社会人で父親でもある中年男性が、永井荷風のような生き方をしたいと思ったとしても、現実にはまず許されないでしょう。

60代でも、そんなことを言い出したら、さすがに周囲に制止されるはずです。

 

しかし、70代や80代になり、子供も自立し、配偶者とも互いに独立した生き方ができるようになった(これが意外に難しいのですが)あとであれば、「もういいかげんにしておいたほうがいいんじゃない」と、たしなめられる程度ですむような気もします。

花街でのお座敷遊びは、若い人よりもむしろ老人のほうが似合います。

 

昔は日本もそういう文化だったのかもしれませんが、欧米では遊びに対して意欲が旺盛な老人はすてきな人と認識されます。

 

品格というと誤解されやすいのですが、上品な老人や、道徳的な老人を目指すべき、と言いたいわけではありません。

めざしたいのは洒脱な老人、おもしろい老人、生き方がうらやましいと思われる老人です。

 

若いうちは、世の中で生きていく以上、世俗の価値観や常識に縛られるのはしかたのないことです。

でも、歳とともに自由になれる部分もあります。

 

洒脱な老人だと思うのは、世俗の価値観に縛られることなく飄々としている人です

 

嫌われる老人の代表例が、説教くさい老人です。

認知療法という心の治療法で、治療対象となる思考パターンの一つが「かくあるべし思考」です。

 

本来、世の中は「かくあるべし」どおりにいかないことを、いちばんよく知っているのが高齢者のはずです。

「かくあるべし」どおりにしなかった人が案外うまくいっているとか、反対に「かくあるべし」に縛られていた人が、追いつめられてうつ病になったというケースなどを見てきていると思います。

世俗の価値観から離れるというのは、「かくあるべし思考」から脱却するということでもあります。

 

品格のある老人とは、説教老人や道徳老人とは違います。

医師の世界にも、「かくあるべし」を説きがちな、教え魔のような医師がいる一方で、飄々としているのに、その先生がいるだけで周りが影響を受ける医師もいます。

そして、圧倒的に格好よく、圧倒的な評価が高いのは後者です。

 

説教しなくても周囲の人から慕われ、自然に真似される人

その姿を見た人に「あんなふうに生きたい」と思わせる人になるのが理想です。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

その中でも重要なものがビタミンB12なのです。

脳科学の発達によって、さまざまなことがわかり、新たな試みがされています。

 

ビタミンB12について?

https://www.endokoro.com/