後悔は、抱えたまま生きればいい
亡くなった人への後悔が残るのは、当たり前のこと。
無理に打ち消そうとせず、
その後悔を抱いて生きると腹をくくれば、
いつか、そこに「意味」を発見するときが来ます。
大切な人を亡くした後、「ああすればよかった」「これもしてあげたかった」という後悔は必ず残ります。
「年老いた親に、なぜもっと優しく接しなかったのだろう」
「あの病院に入院させたのは、間違いだったのではないだろうか」
そんな後悔や迷いを抱えた人が私のところにも、時折いらっしゃいます。
あるとき、知人から、ガンでご主人を亡くした女性に会って欲しいと頼まれました。
彼女は、ご主人に最後までガンを告知することができなかったことを、今でも悔やみ、うつ状態に陥っていました。
「もし夫が自分の病気を知っていたら、残された時間でやりたいことができたのかもしれません。でも、どうしても言えなかった。知らせることができないまま、逝かせてしまったんです」
女性は、そう言って自分を責め続けていました。
私から言わせれば、ご主人はもうこの世にいないわけですから、今さらどうしようもないことです。
しかし目の前の女性は、未だそのことで自分を強く責めている。
今できることは、彼女の“せつなさ”をどうにかするしかありません。
イチかバチかで、こう聞きました。
「ご主人は、頭のいい人ではありませんでしたか?」
彼女は「はい」と答えました。
「たぶんご主人は、病名を知っていたに違いありません。だって、聡明なご主人だったのでしょう?手術しても治らず、日に日に具合が悪くなっているのだから、ただ事ではないと思うのが普通です。あなたが何も言わなくても、自分の病気について気づいていたはずですよ」
さらに、「ご主人は、病名を教えろとあなたに詰め寄りましたか?」と尋ねると、女性は「いいえ」と答えました。
「全部、わかっていたんですよ。ご主人は、あなたが病名を伝えられない気持ちもすべてわかって、亡くなったに違いないと思います」
そう言うと、女性は堰を切ったように泣き始めました。
女性はきっと、誰かから「ご主人は知っていたんですよ」と言って欲しかったのでしょう。
このような場合、第三者から「あなたは間違っていなかった」と言ってもらうだけで救われることもあるのです。
亡くなった人に対して後悔が残るのは、当たり前のことです。
もしそれが、突然の別れだったとしたらなおさらです。
また、「後悔しないように」と懸命に介護や看病をしたとしても、必ずなんらかの悔いは残ります。
それを打ち消そうとする必要はありません。
その後悔を抱えたまま生きればいいと思うのです。
するとそのうち、その後悔の中に、意味を発見するときが来ます。
たとえば、身近な人が家族の看取りを迎えたときに、自分の体験をアドバイスして役に立てれば、それもひとつの「意味」です。
そのとき、「ありがとう」と感謝されれば、「よかった」と素直に思えるでしょう。
近親者を亡くして後悔している人に、「私も同じだったよ」と声をかけて慰めることができれば、それもまた同じです。
ただし、「そんな日が来るかもしれない」程度の話です。
後悔は必ず残る。
それを否定しようと思っても無理である。
そう腹を据える。
そして、その後悔をどう取り扱って行くかを考える。
この世にいない人に対する後悔やせつなさを抱いたまま生きる。
これがもっとも妥当な後悔の「取り扱い方」だと思っています。
「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」
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新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。
気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。
とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。
しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。
この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。
それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。
しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。
脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。
B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。
ビタミンB12について?
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