第6章 人に頼るかわりに自分に何ができるかを考える

第6章 人に頼るかわりに自分に何ができるかを考える

 

「成熟した依存」の方法はいろいろ考えられます。

体が弱ってきている人が、公的なサービスのホームヘルパーにきてもらうかわりに近所の人の助けを借り、ふだんから世話になってきたお礼も兼ねて、お金を受け取ってもらうということも考えられるし、状況によっては言葉で感謝を伝えるだけでもいいかもしれません。

 

精神分析学者のコフートは、人間とは依存的な生き物であって、他人に依存しないのは酸素に依存しないのと同じほどありえないことだと言っています。

同時に、依存は「お互いさま」であることも指摘しています。

 

高齢になってから必要なのは、どうしたら人に頼らなくてすむかを考えることではなく、人に頼るかわりに自分は何ができるかを考えることです。

 

「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国に対して何ができるかを問うてほしい」という、ジョン・F・ケネディアメリカ大統領就任演説で述べた有名な言葉があります。

 

実は、この話の前には共産主義の脅威に対抗すべく福祉が必要だということを論じていますので、ちゃんと金持ちが税金を払って貧困を撲滅しようという意味で、国に対して何ができるかを論じたという説もありますが、いずれにせよ、自分は何ができるかを考えることも必要だと思います。

 

体が弱ってきたから、外出先で人に頼らなくてすむように「外出を控える」という発想で自分の生活を制限するのではなく、

 

「体が弱ってきたけど、寄付ならできる」

「こういうボランティア活動ならできる」

 

と考えて、ためらわず人に頼り、やりたいことをあきらめないようにしたほうがいいと思います。

 

そして、ボランティアをするなら、それで健康維持ができることに感謝しましょう。

 

「成熟した依存」は、ギブ・アンド・テイクの発想がベースですが、ギブに関しては「見返りを求めない、期待しない」こともポイントです。

 

何かいいことをするときに見返りを求めると、それが得られなかった場合に落胆したり腹を立てたりします。

いいことをするのはそれ自体に意味があり、そのうえで自分も気分がよくなったほうがいいのに、見返りがないといって気分を害するなら、何のためにいいことをしたのかわからなくなります。

 

高齢になればできなくなることは増えていきますが、できることも残っているのですから、それを活かさない手はありません。

できないことは人に頼ってもいい

そのかわりに自分にもまだできることがある、という発想をもちつづけたいものです。

 

高齢者は「他人に迷惑をかけてはいけない」という意識が強く、それ自体は尊いことかもしれませんが、迷惑をかけないように意地を張るのはかえってみっともないのも事実だと思います。

迷惑をかけないようにしようと思いすぎると、結局、最後の最後にどうしようもなくなってから人に頼るということになります。

そして結果的に、周囲の人から「水くさい」「なぜ、もっと早く言ってくれなかったのか」と言われてしまいます。

 

迷惑をかけないようにする努力ではなく、迷惑をかける自分でもできることはないかを探す努力をするほうが賢明です。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

その中でも重要なものがビタミンB12なのです。

脳科学の発達によって、さまざまなことがわかり、新たな試みがされています。

 

ビタミンB12について?

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第6章 「成熟した依存」ができる人になる

第6章 「成熟した依存」ができる人になる

 

人に頼らないことは美徳のように思われがちですが、高齢になれば誰もが人に頼らざるをえなくなります。

足腰が弱ってきても自立生活にこだわっていると、転倒して骨折し、それをきっかけに寝たきりになるといったリスクも高まり、かえって周囲に負担をかけることにもつながります。

 

そこは意地を張らず、素直に公の世話になることを考えたほうがいいのです。

介護保険や公的な福祉サービスを利用することは、当然の権利なのです。

 

欧米が日本と大きく違う点の一つは、払った税金の元をとろうという国民の意識が強いことです。

そのため、北欧の国々のように、税金が高くてもそのぶん手厚い福祉が受けられるのであれば、国民は不満をもちません。

 

また、北欧の国々の場合、労働者が解雇されても国の福祉で生きていけるため、産業の転換が比較的容易にできるという面もあります。

たとえば、フィンランドノキアは、かつて世界最大の携帯電話端末メーカーでした。

ところが、携帯電話が売れなくなったときには、従業員を大量に解雇して別の事業に転換し、生き残りを図る道を選ぶことが可能でした。

 

「福祉は個人のためならず」という側面があります。

人に頼ってはいけないと考える人は、体が弱ってきたときになるべく公の世話にならずにすむよう、お金を貯めようとします。

でも、それによって消費不況が起こり、結果的に国にとっては不利益となる可能性があります。

 

大切なのは、依存しないことではなく、「成熟した依存」ができるようになることだと思っています。

人に頼るかわりに何かを返す。

ギブ・アンド・テイクというより、実質的には「テイク・アンド・ギブ」ができればいいと考えます。

 

たとえば、公の介護サービスに頼ることで、家族の介護負担が減って共倒れにならなくてすみます。

もっとシンプルなことでいえば、他人に何か親切にしてもらったとき、「ありがとう」のひと言を返すだけで、相手の自尊心を満たすことができます。

 

高齢者の場合、病気で寝たきりになってまったく意思疎通ができないなど、完全に一方的な依存というものも存在しないわけではありませんが、通常は一方が依存しているように見えて、相手も心理的に満たされるなど、なにかしらのものをえています。

 

相手に直接返すかたちではなくても、他者に依存することによって、そのニーズを満たすための雇用が生まれるということもあります。

自分が依存することで、世の中全体としてはギブ・アンド・テイクで収支が合い、それでまわっていくならいいと考えてみてください。

 

依存という点では、他者だけでなく道具への依存というのもあるでしょう。

高齢者の多くが杖を使うこと、補聴器を使うこと、おむつを受け入れることに抵抗があるようです。

でも、それによって転倒のリスクは下がるし、コミュニケーションは取りやすくなるし、トイレを探す必要がなく自由に行動ができるという側面もあります。

そのほうが高齢者のQOL(生活の質)も上がります。

 

素直に依存したほうが、余裕ある高齢者になれる気がします。

 

成熟したというだけでなく、上手な依存というのもすてきな高齢者につながるのではないでしょうか。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

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このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

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第6章 めざしたいのは洒脱(しゃだつ)な老人

第6章 めざしたいのは洒脱(しゃだつ)な老人

 

文豪の永井荷風は、耽美的な作品を残す一方で、私娼街に入り浸る生涯を送り、“不良老人の元祖”とも呼ばれているひとです。

 

極端な話かもしれませんが、普通の社会人で父親でもある中年男性が、永井荷風のような生き方をしたいと思ったとしても、現実にはまず許されないでしょう。

60代でも、そんなことを言い出したら、さすがに周囲に制止されるはずです。

 

しかし、70代や80代になり、子供も自立し、配偶者とも互いに独立した生き方ができるようになった(これが意外に難しいのですが)あとであれば、「もういいかげんにしておいたほうがいいんじゃない」と、たしなめられる程度ですむような気もします。

花街でのお座敷遊びは、若い人よりもむしろ老人のほうが似合います。

 

昔は日本もそういう文化だったのかもしれませんが、欧米では遊びに対して意欲が旺盛な老人はすてきな人と認識されます。

 

品格というと誤解されやすいのですが、上品な老人や、道徳的な老人を目指すべき、と言いたいわけではありません。

めざしたいのは洒脱な老人、おもしろい老人、生き方がうらやましいと思われる老人です。

 

若いうちは、世の中で生きていく以上、世俗の価値観や常識に縛られるのはしかたのないことです。

でも、歳とともに自由になれる部分もあります。

 

洒脱な老人だと思うのは、世俗の価値観に縛られることなく飄々としている人です

 

嫌われる老人の代表例が、説教くさい老人です。

認知療法という心の治療法で、治療対象となる思考パターンの一つが「かくあるべし思考」です。

 

本来、世の中は「かくあるべし」どおりにいかないことを、いちばんよく知っているのが高齢者のはずです。

「かくあるべし」どおりにしなかった人が案外うまくいっているとか、反対に「かくあるべし」に縛られていた人が、追いつめられてうつ病になったというケースなどを見てきていると思います。

世俗の価値観から離れるというのは、「かくあるべし思考」から脱却するということでもあります。

 

品格のある老人とは、説教老人や道徳老人とは違います。

医師の世界にも、「かくあるべし」を説きがちな、教え魔のような医師がいる一方で、飄々としているのに、その先生がいるだけで周りが影響を受ける医師もいます。

そして、圧倒的に格好よく、圧倒的な評価が高いのは後者です。

 

説教しなくても周囲の人から慕われ、自然に真似される人

その姿を見た人に「あんなふうに生きたい」と思わせる人になるのが理想です。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

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第6章 すてきな高齢期になるために必要なこと 「○○になりたい」から「こうありたい」へ

第6章 すてきな高齢期になるために必要なこと

「○○になりたい」から「こうありたい」へ

 

高齢になることの大きなメリットの一つは、世俗の価値観から自由になれることだと思います。

 

人は一般的に、「こうなりたい」と思うものに向かって人生を歩んでいきます。

人生の大半の時期においては、「この職業に就きたい」「この肩書を得たい」など、具体的なものをめざすことが多いはずです。

 

でも、歳をとるとそれが難しくなってきます。

そこから先は、「こうありたい自分」というものをもたないと、生きていくのがしんどくなるのではないかと思います。

 

実際、あるときから、肩書に対する関心がほとんどなくなり、「こうありたい」という、自分にとっての理想について考えるようになりました。

そこで真っ先に思うのは、歳をとっても「おもしろい人」でありたい、つまらない人と思われたくないということです。

 

競争社会のなかでは、「おもしろい人」が勝つわけではありません。

それでも、長い目で見れば、競争社会で勝ち抜くよりも、おるしろい人であることに価値を感じます。

 

世俗の価値観を軸にしていれば、この職業のほうがより社会的地位が高い、この肩書のほうがより偉い、だからそれをめざすという発想になると思います。

でも、歳をとったらその価値観から自由になり、「○○になりたい」という名詞形の「なりたい自分」よりも、どうあるかという「HOW」の意味合いでの「こうありたい自分」のイメージをもちたいものです。

 

たとえば、歳をとってから、「作家になりたい」と思い立つ人もいると思います。

そこで文学賞をねらっても、現実にはなかなか厳しいでしょう。

賞は人間が審査して選ぶものである以上、審査員の年代が自分より下になるほど世代的な感性の差も大きくなり、選ばれるのは難しくなるからです。

でも、読む人におもしろいと思われるものを書くことは、何歳でも可能です。

これからねらうなら、そちらのほうがずっと価値があるのではないでしょうか。

紙の本にこだわらなくても、ネット上で作品を発表し、話題になっていくケースも多くあります。

 

世俗の価値観にとらわれたくないと思っていても、若いうちはそうならざるをえなかったという人もいるでしょう。

会社で働いていれば、そのなかで上をめざそうと考えるのは必然でもあり、そのために上司の目や周りからの評価も気にしなくてはなりません。

 

そのしがらみから解放されて、自分の好きなことができる。

本当に「こうありたい」と思える自分を追い求められる、それこそが、歳をとることで得られる大きな特権だと思います。

 

実際、歳をとると肩書が立派な人より、生き方や話していることが魅力的な人のほうが、はるかに人を惹きつけます。

そういうものが必ずしも「こうありたい」自分とはかぎりませんが、「こうありたい」自分を探してみることも歳をとってからの時間の使い方かもしれません。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

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第5章 高齢期こそ「長い目で見る」力を鍛える

第5章 高齢期こそ「長い目で見る」力を鍛える

 

物事を長い目で見ることができるのも、高齢者の有利な点だと思っています。

 

若くして出世することや、目先の勝負に勝つことに必死になる人生を送ってきた人でも、歳をとってくると、「あんなにあくせくしないで、もっと先のことまで考えればよかった」と思うようになることは多いと思います。

 

学歴がなくても成功している人はたくさんいますし、出世競争に勝たなければならないわけではありません。

最後に笑えればいい、生き残ることが大事だ、という発想に代わってくるのではないでしょうか。

 

20代後半で最初の本を出して以来、比較的しぶとく生き延びているほうだと思います。

40代に入って以降は、毎年コンスタントに20~50冊ほどの本を出してきています。

 

世の中から「消えない」ということが、取り柄だと思っています。

 

売れっ子ではなくてもずっと消えることなく、こうして毎年20冊以上の本をいまだに出せることは、それなりに自慢してもいいことなのかもしれないと思えるようになりました。

 

長く生き延びるこということは、ずっとチャレンジの機会があるということです

もしかしたらこの先、ミリオンセラーが出ることもあるかもしれないし、そうなったとしても、そこで終わりではないと思っています。

 

人間は目の前にあることにとらわれていると、先の結果が見えなくなります。

精神科医森田正馬さんが創始した、「森田療法」という心の治療法があります。

森田療法の最大の特徴は、不安をもつ人から不安を取り除こうとするのではなく、不安を抱えたままどう生きるかを考えようとすることです。

森田療法では、患者さんがいま悩んでいる症状そのものを治そうとすることはしません。

 

それよりも、その症状をなくすことで結果的に本人はどうなりたいのか、たとえば顔が赤いという症状を治したいのは、結果として人に好かれたいからだということに目を向けさせます。

そして、その望む結果にアプローチする方法を考えます。

顔が赤いのが治らなくても、人に好かれる方法を考えさせ、実行に移させるのです。

 

そのように、長い目で見るということは、目の前のことではなく、その先にある結果に目を向けさせることができるということです。

 

たとえば、お孫さんの中学受験で、自分の娘や息子が、お孫さん本人の気持ちを無視して、いい学校に入れるために必死に勉強させようとしているとします。

 

そんなときに、

 

「無理に勉強させてその子が勉強嫌いになったら、大学受験もうまくいかなくなるだろうし、この先の人生でずっと苦労することになるよ」

 

と伝えるのです。

 

それこそが、長い目で見る能力を持つ高齢者の価値です。

長い目で見る能力の重要性は、歳をとるほど増していきます。

高齢期こそ、長い目で見る力を鍛えたほうがいいと思います。

 

短期的な結果だけで物事を判断する癖が直らない高齢者もいる一方、長期的な展望をもっていて、「そうは言っても、5年、10年たってみないとわからないよ」と言える高齢者もいます。

だてに歳をとっていないと感じさせるのは、やはり後者です。

 

高齢者には、無駄に歳をとっている人と、だてに歳をとっていない人がいます。

品格ある高齢者になるとは、すなわち、「だてに歳をとっていない人」になるということにほかならないと思います。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

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新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

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しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

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高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

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第5章 職業に対する決めつけを捨てる

第5章 職業に対する決めつけを捨てる

 

歳をとることで若い人に勝てるのは、経験の多さです。

 

そう言うと、「いや、自分は会社勤めしか経験してこなかったから」と思う人もるかもしれませんが、会社勤めを40年近くもやっていれば、ほかの人があまり知らないことをいろいろ知ることができます。

 

たとえば、営業をずっとやってきた人なら、昔と今の顧客が求めるものの違いとか、お金持ちには見えないのにじつはお金をもっている人の特徴などを、経験から知っているのではないでしょうか。

経理ひと筋というと地味な印象ですが、そういう人は意外な経費の使い方の事例など、いろいろ知っているでしょう。

 

以前、東京の都バス運転手の平均年収が約740万円で、退職直前には1000万円近くになるケースもあり、民間にくらべて高すぎるとして批判の的になったことがありました。

でも、定年まで40年ものあいだ、ほぼ事故も起こさず多くの人の命を預かってきた人が、年収1000万円をもらうことのどこが悪いのか、と思います。

 

この職業ならこれくらいの収入レベルという既成概念は、そろそろ取り払われるべきだと思っています。

 

たとえば、アメリカではチップの慣習があるため、飲食店で働く人がかなり高い収入を得ていることもめずらしくありません。

アメリカの大都市では、いまチップは18~20パーセント程度ですので、レストランに4人1組の客がやってきて、日本円で一人1万円ずつ計4万円分の食事をした場合、そのテーブルの給仕を担当するホールスタッフは7000~8000円のチップを丸ごと手にできます。

 

ソムリエの場合、一つのテーブルで10万円のワインが1本空けば、そのたびに2万円近いチップが得られます。

必然的にソムリエの収入レベルは高く、日常的に高いワインも飲んでいるので、いっそうワインに精通し、ソムリエとしてよりレベルの高い仕事ができるようになります。

 

どんな職業であれ、高いお金を払われている人のほうがいい仕事をするというのは、当然のことでもあります。

 

たとえば、ベビーシッターにしても、アメリカでは優秀なベビーシッターともなれば、日本円で数万円の時給を得ている人はザラだといいます。

 

日本でも、超富裕層といわれる人たちが、跳び抜けてスキルの高いベビーシッターや家事代行人を破格の時給で雇えば、安心して子供を預けて出かけられたり、完璧な掃除をしてもらえたりと、自分自身にとってもメリットが大きいはずです。

 

職種を問わず、その仕事を極める人は必ずいるものです。

たとえば、日本有数のベットメイキングの達人という人もいるでしょう。

それに見合う対価をその人たちが得られるようになれば、その職種全体のレベルもおのずと上がります。

 

清掃の仕事をしている人が、最高の清掃人になれば時給5万円もらえるかもしれないという夢をもてたら、世の中は変わると思います。

でも、日本の場合は、あらゆる職業において夢がないのが現実です。

お金持ちがお金を使うことで、多少は夢が生まれているといえる職業は、いまのところは料理人くらいでしょう。

 

家事代行のプロが時給5万円もらうようになったとしても、それは、その業界でトップクラスの人の時給が5万円になるというだけの話で、それ以外の人たちの時給が変わるわけではありません。

でも、その人たちに夢が生まれることは確かです。

 

スポーツでも、ある競技がプロ化して、選手はがんばれば年俸1億円得られるということになれば、その競技全体のレベルが上がります。

 

「この職業はこういうもの」「この職業の人はこういう人」と決めつけず、職業も人生もいろいろだと考えられる思考の幅をもつことが大事だと思います。

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

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このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

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第5章 「人生いろいろ」で多様性を認める

第5章 「人生いろいろ」で多様性を認める

 

まさに「人生いろいろ」で、みんながこうあるべきという決めつけは、知的にもメンタルヘルスのうえでも好ましいものではありません。

 

高齢者のすてきなところ、深みを感じさせる部分は、「人生いろいろ」が認められることです。

歳をとると頑固になると思われがちですが、むしろ長く生きているほど、多様性を認められるようになっていくものだと思います。

 

将来にはもしかしたら、若いころからずっとテレワークで働き、多様な人とふれあうことがほとんどないまま70歳や80歳になる人も出てきて、高齢者といえども「人生いろいろ」を知らないのが普通になるのかもしれません。

 

でも、いまの高齢者は違います。

学校では優等生ではなく不まじめに見えた人が、意外に要領よく成功してずっと順調だったり、一時期すごく羽振りがよさそうだった人が転落していったりと、これまでにたくさんの「人生いろいろ」を見ています。

そのことによって、高い学歴を得れば成功するといった、世間の定説どおりには必ずしもならないことを知っています。

 

人間は変われない、変わらないものだという思い込みを、多くの人がもっています。

日本の学歴信仰のベースにあるのは、18歳時点での勝ち負けが一生続くという認識です。

たとえば、東大医学部を出ていることに対して、「頭がいいんですね」と言われることがあります。

でも、それは、大学を受験した18歳時点で、ほかの受験生よりは勉強ができたにすぎないのです。

 

ですから、「頭がよかったんですね」と言われるならわかりますが、「頭がいいんですね」と言われるのは違和感があります。

もし、現在形で「頭がいい」のだとすれば、それは東大医学部卒だからではなく、そのあともずっと勉強しているからです。

 

人間は18歳のときから変わらないということが、当たり前のこととして認識されているのはおかしなことです。

人生には、浮き沈みも勝ち負けもあり、人間はそのなかで変化していく生き物なのです

 

「人間は変わるものだ」と、高齢者の方にこそ声を上げてほしいと思います。

「人生いろいろ」とか、「人間はころころ変わる」ということを、高齢者は経験を通して知っているはずなのに、なぜかそれを封印している人が多いような気がします。

 

たとえば、学歴はそうあてになるものではないと知っているはずなのに、お孫さんに対して、「いい大学に行きなさい」と、つい言いがちです。

本来ならそこで、「いい大学に入れるのならそれに越したことはないけど、そのあとも勉強しなかったら意味はないよ」という、当たり前のことを伝えるべきなのです。

 

高齢者が、人間的な「深み」や「幅の広さ」を感じさせてくれると、「だてに歳をとっていないな」と思います。

多くの人が「賢い老人」に求めているのはそのようなものです。

 

誰もがスマホをもち、ネットで何でも調べられる時代になり、知識に優位性がなくなっているからこそ、その人のもつ人生哲学や経験が人間的な「深み」や「幅」につながっているかどうかが、大きな意味や価値をもつものだと思います。

「老いの品格 品よく、賢く、おもしろく より」

 

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脳の中では、運動会のリレーのように、神経がバトンをつないで、指令を伝達していきます。

しかし、たとえばC地点の神経細胞が倒れてしまい、指令がそこで止まってしまう、という事態が起こります。

このとき、すぐにC地点の神経細胞を救出できれば復活したのですが、時間が経ち、死んでしまって、その指令も届かなくなる。

これが運動麻痺や言語障害の起こる理由です。

 

ところが、脳のすごいところは、C地点から今度はほかのルートでバトンを渡そうとするのです。

新たなルートで、新たなリレーのチームを作り、「言葉を話す」という指令を伝えようとします。

この新チームは、以前のチームのようにバトンの受け渡しがうまくなく、スムーズに指令が届きません。

しかし、何度も繰り返し練習するうちに、だんだんうまく指令が伝わるようになっていきます。

このようにして、死んでしまった神経細胞は復元しないけれど、ほかのルートで代用できれば、言葉がある程度話せるようになり、失語症もよくなっていくというわけです。

 

ニューロン同士が情報伝達を行うこと、つまり神経機能的連絡を行うためには、新経路の交差点ともいうべきものが必要であり、この交差点をシナプスと言います。

このシナプスは、歳をとっても増加し、より成熟した結合が進行するとされています。

高度の創造過程にも高密度のシナプス形成が必要と思われ、そのためには、それに必要な素材として神経系構成成分、つまり栄養成分が必要なことは当然で、また、その構築作業のための酵素、そしてそれを補佐する補酵素的ビタミンも必要となります。

その中でも重要なものがビタミンB12なのです。

脳科学の発達によって、さまざまなことがわかり、新たな試みがされています。

 

ビタミンB12について?

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