「置かれた場所」で咲けなくていい

f:id:endokoro728:20191212205210j:plain

「置かれた場所」で咲けなくていい

 

すべての物事は、

ひとつの条件によって成立している「仮のもの」。

どんな場所も人間関係も、

「絶対」ではありません。

そこにいるかいないかは、自分自身で選べます。

 

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を初めて知ったとき、「幸運にも自分が置かれたい場所に置かれたのならともかく、誰かに一方的に置かれた場所でただ咲けとは、いったい何を言っているのだろう」と思ったのです。

 

その「置かれた場所」とは、「たまたま置かれた」にすぎない場所です。

 

それを絶対的なものと捉えて、しかも「そこで咲け」と言うのですから、なんとも過酷な話です。

たとえどんなに理不尽で厳しい立場に置かれようが、それを受け入れ、我慢して自己実現に努力せよと言うのであれば、私から見れば差別的ですらあります。

また理屈を言うようですが、たとえば南北戦争前のアメリカでも、黒人は「置かれた場所」で咲かなければいけなかったのでしょうか。

ただ、このタイトルの本が大ヒットした理由はわかります。

このように言われたら、自分が苦しい立場に置かれていても、諦めがつくからです。

 

仏教では、すべての物事は、ひとつの条件によって成立している「仮のもの」だと考えます。

人間関係も、仕事も、家庭も、常に一定の条件でしか成立しないあいまいなものです。

今、自分がどんな場所に置かれ、どんな状況にあろうと、それは一時的な状況だと捉えるのが、仏教の視点です。

 

たとえば、同僚や上司との人間関係がうまくいかなければ、それは深刻な問題かもしれません。

しかしそこを辞めれば、職場の上司とは一切関係がとぎれます。

また、学校でどんないじめに遭っていたとしても、転校したり卒業したりすれば、いじめた相手とは縁が切れます。

家族でさえ一緒にいるから「家族」なのであって、離婚したり、生まれてすぐ親子が離れ離れになったとしたら、赤の他人同士です。

 

たとえ、自分でその場所を選んだとしても、予想に反して「たまたま」つらい場所だったということはよくあります。

それならば、別の場所を探してもいいし、もうしばらくその場所に居続けると決めてもいい。

そこにいるかいないかは、自分自身で選べます。

本当につらいのは、その選択の余地がないときです。

「自分の居場所がどこにもない」と言う人がいますが、居場所がなくて当たり前なのです。

すべては「仮の宿」であり、一時的な場所ですから。

どんな場所も人間関係も、「絶対」ではありません。

そこに行けば一生安心と言える居場所など、この世にはあり得ません。

もし「自分の居場所が欲しい」と思うなら、自分で探すか、居場所を確保するために、ここと決めた場所が少しでも居心地がよくなるよう工夫するしかありません。

「いや、今いる場所で咲こうとするくらいの根性がなければダメだ」と言うのは、「今いる場所」や「自分」が、絶対的な存在だと勘違いしているだけです。

「誰か」の価値基準を無条件に受け入れて、そこで咲けるよう努力しろと言う。

これは、仏教の立場ではかなりおかしな話なのです。

 

置かれた場所で咲かなくてもかまわない。

ただ、やり方によっては咲くこともある。

 

その程度のスタンスで「置かれたところ」にいれば十分だと私は思います。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。

気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。

とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。

しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。

 

私たちの脳の中で司令塔のような役割をしているセロトニン神経という神経細胞が弱ってきており、軽い不調からうつ病、パニック症候群、さまざまな依存症などを引き起こす原因になっています。

この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。

 

脳には無数の神経細胞があり、その神経細胞の末端からセロトニンアセチルコリンドーパミンなどの神経伝達物質を放出しています。

それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。

しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

 

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

情報の99%はなくてもいい

f:id:endokoro728:20191211204209j:plain

情報の99%はなくてもいい

 

「悩みや苦しみをなんとかしたい」と

切実に思ったとき、

人は情報の選別を始めます。

そこから、知恵が生まれ、

生きるための世界感が育まれていきます。

 

自分の問題を見ていくとき、必要になるのが「教養」です。

 

このように言うと、「では、本を読んで勉強しろということですか?」と聞かれますが、そうではありません。

私か言う教養は、単なる情報や知識を得ることとは違います。

学歴も読書量も、まったく関係ありません。

ただし、教養は「あってもなくてもいいもの」ではなく、誰にとっても欠かすことのできないものです。

なぜ、教養がなくてはならないのか。

それは、問題を考えるときの「世界観」を持つためです。

この世界が、自分にとってどんな場所なのか。

自分とこの世は、どんな関係があるのか。

世界感がなければ、それを見極めることはできません。

そして、そのためには、情報を選別し、教養を養うしかないのです。

 

このとき誤解してはいけないのが、「情報」と「知識」と「知恵」と「教養」は、まったく別物です。

 

ここで整理しておきましょう。

まず、世の中に今ある情報の99%なくてもいいものです。

自分にとって必要な情報はせいぜい1%程度でしょう。

抽出された1%を、「知識」と言います。

その知識を、自分の問題に組み込んで使えたときに、「知恵」となります。

抽出した知識を人生にどう生かせるのかがわかれば、それは知恵があるということです。

ここで「なるほど、知恵がつけば教養が生まれて、教養を身につけたら、世界観が生まれるのか」と早合点してはいけません。

世界感が持てないと、あふれている情報から自分にとって必要な1%を抽出することができないのです。

つまり、「情報→知識→知恵→教養→世界観」は、ループのように輪になってつながっているというわけです。

 

では、どうすれば世界観や教養が持てるのか。

職人を例に考えてみましょう。

日々自分の仕事に従事している彼らの多くは、膨大な本で勉強しているわけではないでしょう。

しかし自分なりの世界感が彼らにはあります。

それがなければ、人から認められる仕事はできません。

なぜ職人たちが世界観を培えたかと言えば、彼らが「考える人」だからです。

彼らは、仕事を通じて世の中を見る目がはっきりしている人たちです。

だから、自分にとって「要るもの」と「要らないもの」が明確にわかっているのです。

どうすれば、熟達した仕事ができるのか、失敗を繰り返しながら、試行錯誤を続けつつ真剣に考えたからこそ、情報が抽出されて知識となり、具体的な実践の中で知恵となって教養や世界感が育まれたのです。

 

では、いったいわれわれがどこから手をつけたらいいか。

それにはまず、自分の問題から逃げず、しっかり困ったり悩んだりすることです。

人が学び始めるのは、自分の悩みや問題を見据えることができ、この状況をなんとかしたいと本気で考えたときです。

そのためには、きちんと困ったり、悩んだりしなければならないのです。

悩みや苦しみを何とかしたいと切実に思ったとき、人は情報の選別を始めます。

もちろん、そこからすぐに事態が変わるわけではありません。

しかし、「情報を使いたい」「問題を解決したい」と実践を繰り返すうちに、少しずつ情報から世界観へのループが回り始めます。

 

そのスピードは、ゆっくりかもしれません。

また、問題の見極めに失敗すれば、ときにはループの回転が滞ることもあるでしょう。

でも、ループはじわじわと回り続けます。

そしてその回転は、確実に世界観を育んでいくはずです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。

気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。

とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。

しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。

 

私たちの脳の中で司令塔のような役割をしているセロトニン神経という神経細胞が弱ってきており、軽い不調からうつ病、パニック症候群、さまざまな依存症などを引き起こす原因になっています。

この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。

 

脳には無数の神経細胞があり、その神経細胞の末端からセロトニンアセチルコリンドーパミンなどの神経伝達物質を放出しています。

それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。

しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

 

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

自分のためではなく、誰かのために何かをする

f:id:endokoro728:20191210171849j:plain

自分のためではなく、誰かのために何かをする

 

「何を大切にして生きたいか」を考え、

自分のやるべきことを見極められれば、

日々の生活の中に、

具体的な喜びや楽しみが生まれます。

 

「人生を棒に振るつもりで生きたらいい」と話すと、切羽詰った口調でこう聞かれることがあります。

「その、棒に振るというのは、どうすればいいんでしょうか!?」

「何もしないということでしょうね」と答えたいところですが、人は何もしないではいられません。

それに、「まったく無責任な坊さんだ」と言われかねないので、こう答えます。

「自分のためではなく、特定の誰かのために何かをすることですね」と。

 

話が飛躍しましたが、言いたいのはこういうことです。

人は、人生になんらかの意味を感じないと生きられません。

そして、人間の最大の欲求が「誰かに認められたい」ということです。

では、人から認められるにはどうすればいいか。

それは、「自分のなすべきこと」をなすことです。

自分のやりたいことではなく、「やるべきだ」と信じていることです。

簡単に言えば、「何を大切にして生きたいか」を考えて、それをやることです。

誰を大切にしたいのか。

何を大切にしたいのか。

この2つについて考えるだけです。

自分のためでなく「誰かのために」「何かのため」になすべきことをする。

将来は変わっても構わない。

少なくとも「今」、自分がやるべきことは何かを考えるのです。

このことを「自分のテーマを決めて生きる」と言っています。

 

「なすべきことをやったほうが得だ」と言っているわけではありません。

まったく別の話です。

自分の損得や感情を、まず外すこと。

「得したい」「ラクしたい」という感情を脇において、今何が自分に起きているかを見て、「べき」を考えるのです。

それを見極めるとき、「得したい」「ラクしたい」は、大きなバイアスになります。

ひとつ手本だと考えるのは、職人の生き方です。

大工さん、農家や庭師、豆腐屋さんやお寿司屋さん、事務職あるいは技術職の人、どんな職業でもいい。

「職人」「職人技」と認められるほどの腕があり、仕事で評価されている人たちは、「やるべきこと」が決まっていて、それを最優先に生きています。

すると、人に対して見栄やてらいがほとんどありません。

自分自身が評価されなくても、“自分の仕事”が評価されればいいからです。

彼らは、それ以上の満足も承認も必要としていません。

「仕事が認められること」が「自分が認められること」なので、結果的に自分自身に対する執着が消えてしまうわけです。

彼らの関心は、いいものができるかどうか、満足のいく仕事ができるかどうかだけに向けられています。

そして、「今日もよく働いた」と晩酌をしてくつろぎ、一日を終える。

日々の生活の中に具体的な喜びや楽しみがある。

うらやましい生き方です。

 

自分の「べき」をはっきり見られるようになれば、「~したい」に振りまわされることはありません。

他人から見てどう思われるかと、いちいち顔色をうかがうこともありません。

また、「~したい」ではなく、「~するべき」というところから何かをやれば、必ずそれを認める人が出てきます。

 

といっても、それが大げさなことである必要はまったくありません。

自分の中に「やるべきだ」という確信があり、人にその理由を説明できること。

つまり、何を選択するにしろ、「なすべきこと」とは欲望ではなく、価値なのです。

ただし、自分の乏しい脳力と限られた時間の中で、何が狙えるのかをシビアに考えないと意味がないでしょう。

「あれも、これも」は、まず無理だと理解することから始めてください。

 

ただ、それもすべて幻想だと考えます。

しかし、人には幻想が要るのです。

自分がどの幻想を選んで生きるのかを決めることが、「べき」を決めることです。

そして、「べき」が幻想だとわかったうえで、結果を期待したり見返りを求めたりせず、思いどおりにならなくとも仕方がないというスタンスでやらなければいけないのです。

それを覚悟でやるのが「生きる」ことです。

自分が選んだ「べき」が、しょせんは幻想だとわかっていれば、力む必要もないでしょう。

たまたま生まれてきた「自分」です。

「人生を棒に振ってもいい」と思って取り組むぐらいで、ちょうどいいのです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。

気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。

とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。

しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。

 

私たちの脳の中で司令塔のような役割をしているセロトニン神経という神経細胞が弱ってきており、軽い不調からうつ病、パニック症候群、さまざまな依存症などを引き起こす原因になっています。

この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。

 

脳には無数の神経細胞があり、その神経細胞の末端からセロトニンアセチルコリンドーパミンなどの神経伝達物質を放出しています。

それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。

しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

 

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

悲しみたいだけ悲しめば、ふと笑える瞬間が来る

f:id:endokoro728:20191209213502j:plain

悲しみたいだけ悲しめば、ふと笑える瞬間が来る

 

誰がなんと言おうと、

別れの悲しみを我慢する必要はありません。

死者を思う気持ちとともに生きると決め、

「悲しむ作法」を見つけることが大切なのです。

 

あるとき、若い娘さんを亡くした母親が訪ねてきました。

「頻繁にお墓参りし過ぎるので、まわりから止められたがどうすればいいか」という相談でした。

1日に何度行くのか尋ねると、多いときで4、5回とのこと。

専業主婦の彼女は、それで生活に支障を来しているわけでもなさそうです。

私は、こう言いました。

「それなら、好きなだけお墓参りすればいいじゃないですか。だって昼間にあなたが何度お参りしたとしても、誰も困らないでしょう?娘さんのことを簡単に忘れてしまったほうがかわいそうじゃないですか」

「でも、それじゃ成仏できないと言われて……」

誰が言ったのか聞くと、「親戚です」と言うので、「その親戚は、一度死んだことがあるの?」と聞いてみました。

「いえ、生きています」

「それなら、なぜその人は、墓参りし過ぎると成仏できないとわかったの?」

そう言うと、母親は少し考えて言いました。

「……今までどおりに、お墓参りしてもいいんでしょうか?」

「それで、誰か困る人でもいますか?」

母親はホッとしたような顔で、首を横に振りました。

 

突然の事故で娘さんを亡くした後、数年経った今も遺骨を枕元に置いて寝ていると話す母親もいました。

やはり、「それでは成仏できないから、早く墓に遺骨を納めろ」と周囲に言われて悩む母親に、こんな言葉をかけました。

「墓に納めた程度で成仏するんだったら、いつだって成仏できるから大丈夫。母親があっさり自分のことを忘れるほうが、娘さんは寂しいですよ。好きなだけ遺骨を抱いて寝ればいいんです」

どんなに悲しみを抑えようとしても、死者を思う痛切な気持ちは、疑いようもなくそこにあるのです。

見てみぬふりをしろと論すのは酷な話です。

悲しみから立ち直れないのであれば、無理して立ち直ることなどありません。

誰がなんと言おうと、悲しみたいだけ悲しめばいいのです。

 

不思議なもので、どんなに悲しくてもお腹は空きます。

別れの悲しみから立ち上がれない人に「食事はとれていますか?」と尋ねて、「はい」と答えが返ってきたら、安心します。

心は深い悲観の淵にあったとしても、生身の体には生きる意欲があるわけですから。

そうであれば、泣きたいだけ泣けば、必ずふと笑える瞬間がやってきます。

その瞬間が、いつになるかはわかりません。

でも、そのときは必ず来ます。

ただし、悲しみが完全に消え去ることはないと思っておいたほうがいいでしょう。

だから、悲しみとともに生きると決め、「悲しむ作法」を見つけることなのです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。

気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。

とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。

しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。

 

私たちの脳の中で司令塔のような役割をしているセロトニン神経という神経細胞が弱ってきており、軽い不調からうつ病、パニック症候群、さまざまな依存症などを引き起こす原因になっています。

この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。

 

脳には無数の神経細胞があり、その神経細胞の末端からセロトニンアセチルコリンドーパミンなどの神経伝達物質を放出しています。

それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。

しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

 

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

家族にも日々のいたわりや心遣いを示す

f:id:endokoro728:20191208212058j:plain

家族にも日々のいたわりや心遣いを示す

 

家庭にストレスがあると、

決定的な問題となっていきます。

植物に水をやり、肥料をやって育てるように、

家庭にも、日々の挨拶や声かけが必要です。

 

人の縁は、手をかけ、時間をかけなければ育ちません。

他人に対してなら、誰もがそれなりに手間暇かけます。

しかし、家族はそうはいきません。

「家族なんだから、言わなくてもわかるだろう」。

ついそう思ってしまいます。

もしそう言うのであれば、少なくとも相手が「自分はいたわられている」と思えるような態度を、言葉以外ではとっていなければなりません。

そうでなければ、ただの怠慢です。

水をやり、肥料をやって、手をかけないと美しい花は咲きません。

同じように、家族にも、日々のいたわりや心遣いが必要なのです。

いたわりの心を示すには、家族にお礼や挨拶をきちんとすることが基本。

特別なことは不要です。

「おはよう」「おやすみ」と挨拶する。

食事をつくってもらったら「ありがとう」「ごちそうさま。おいしかった」とお礼を言う。

当たり前のことです。

私にとって、それは子どもの頃から「普通のこと」でした。

ふだんから、父が母に対してそのように言葉をかけていたからです。

 

ところが結婚後、驚きました。

妻の友人たちによると、世間の夫はそうではないと言うのです。

「他の男たちは、食事をつくってもらえるのが当たり前だと思っているのか!」と、衝撃を受けたものです。

「ありがとう」とほんのひと言声をかけるのに、「元手」は要りません。

それで家庭がうまくいくなら、いくらでも言えばいいのです。

しかしそんな私も、結婚当初は戸惑いました。

この程度で怒るのかと思うようなことで、妻に怒りや苛立ちをぶつけられ「これは大変だ」とあわてたものです。

しかも、2時間もするとその怒りは消え、「夕飯、何にする?」とケロッとして聞いてきます。

新婚の頃は「あれほど怒っていたのに、二重人格なのかな」と不思議に思いました。

あるとき、妻が特別なのかと先輩に聞いてみたところ、「うちも同じだよ。嫁さんがものすごく怒ってても、2時間も経てば忘れてるよ」と言います。

「ああ、夫婦はどこも同じか」とそのとき気づきました。

先輩は言いました。

「とにかく黙って聞いていろ。嵐は過ぎる。永遠の嵐はない。後は、ふだんから『ありがとう』と言っておけば大丈夫だ」と言うので、本当かと確認すると「俺の40年が証明している」と胸を張りました。

 

だから今も、妻に小言を言われたときは「はい」と大人しくうなずいています。

永平寺では「ダース・ベイダー」とあだなをつけられたほど怖がられていた私が、なぜ家庭では叱られる身なのかと、思わなくもありません。

しかし、それで家庭がうまくいくのならなんの問題もありません。

訓練すれば、たとえ一時的にムッときても、その感情を丸めてポンと放り出してしまえます。

なぜそうできるかというと、「自分とは何か」「死とは何か」という自分のテーマを外さないと決めているからです。

 

もちろん家族は大事です。

しかしテーマを狙うこと以外は、どううまく折り合いをつけていくかだけの話です。

くだんの先輩も、自分自身の仏教というテーマがあるから、家庭で起きる「嵐」を40年間やり過ごしてきたのです。

言うまでもありませんが、夫婦ゲンカで相手に言い返すのは、愚作中の愚作です。

火に油を注ぐ結果になることは、少し考えればすぐわかるでしょう。

そして、夫婦ゲンカを早く収めたいと思うなら、男が黙ることです。

理由のひとつは、男性の理屈は往々にして一本調子で単純なうえに過去の記憶があいまいなので、女性の細かい記憶を動員する多彩な理屈に勝てるわけがないからです。

女性にストレスがあると家庭が壊れる可能性が高くなります。

またもうひとつは、家庭ではあきらかに、女性のほうに負担がかかってくる場合が多いからです。

男は概して、現状を正しく把握していませんが、無給の家事や子育てと有給の職場仕事を比べたら、ひょっとすると労働の量や大変さは家事・子育てが勝るかもしれません。

このとき、それらが女性にかたより、価値が正当に評価されず、さらに夫婦共働きとでもなれば、女性のストレスは男性の比ではありません。

この状況を変えないまま、女性が言いたいことを言えず我慢する構図があると、その関係は破綻する確率が高まります。

事情によって家事・子育ての分担ができないならば、男性(というより、それをしないほう)が黙って譲れるだけ譲るしかありません。

 

家庭にストレスがあると、その人にとって決定的な問題になっていきます。

表面上は元気に過ごしているように見えても、内面で深い問題が進行することになります。

そして問題が表面化したときに手を打とうとしても、遅いのです。

 

家族関係に手間をかけるとは、手を抜かずコミュニケーションを取っていくということです。

毎日、水や肥料をやって花を育てるように、日頃から手間をかけて家族という関係も丁寧に育てていく必要がある。

繰り返しますが、このことは肝に銘じておいたほうがいいでしょう。

コミュニケーションは、訓練しなければ上達しません。

しかし、自分を変えようと思うとつらくなります。

まずは、日頃の挨拶をおろそかにしない。

「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと言う。

それで十分です。

そのうえで、相手に何かをして欲しいと思ったら、まず自分がそのようにすること。

そして、必要に応じて相手をほめたり、提案したり、論したりしてみることです。

それでも、調整がうまくいかないのであれば、やり過ごすことを考えればいい。

やり過ごせないほどの負荷を感じるのであれば、家族であっても距離を置くという選択もあります。

 

自分が何を、誰を、大事にしたいのか。

それがわかっていれば、対処法はおのずと見えてくるはずです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

最近、電車の中でキレる人を見かけます。

少し前までは、電車の中で暴れるのは酔っぱらいか、普段から暴力的な人と相場が決まっていました。

でも、最近は違ってきています。

しかも、普段はおとなしく、礼儀正しい人なのに、ついカッとしてキレてしまったという人がとても多いのです。

受けたストレスをコントロールすることができず、感情を爆発させ、普段では決してしないような行動をとってしまう、これがいわゆる「キレる」という状態です。

この「キレる」という行為、原因を簡単に言うと、「ストレス」です。

これはまさに「セロトニン神経」の機能低下が原因だと考えています。

 

セロトニンは脳に静かな覚醒をもたらします。

これは別の言い方をすれば「平常心」をもたらすということでもあります。

平常心を保つというのは、脳の切り換えがスムーズに行われ、どこも暴走も興奮もしていない状態のまま、スムーズに働いているということです。

セロトニン神経の機能が低下すると、感情や精神状態を普段の冷静な状態にキープすることが難しくなることは充分に推測できます。

そしてこのことは、キレる人が朝の満員電車よりも、夜の帰宅時に多いということからも証明されます。

 

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

感情の波からいったん降りる技術を身につける

f:id:endokoro728:20191206171841j:plain

感情の波からいったん降りる技術を身につける

 

頭で渦巻く感情や思考は、

意思の力で止められるものではありません。

自分をクールダウンさせるために、体のほうから

感情をコントロールするテクニックが有効です。

 

時には感情が揺らぎ、大きく波立ったとしても、その流れをいったん自分で切ることができる。

身をもってそう知ったのは、永平寺の役寮時代でした。

曹洞宗の総本山である永平寺は、大勢の僧侶が所属する巨大組織です。

僧侶の集団といえど、役職が決められ序列がはっきりしています。

その意味では、一般の大企業と同じです。

部下は動かないし、上司は話が通じません。

日々イライラすることもあれば、ときには、怒りが収まらないことも起こります。

 

しかし、禅僧には坐禅があります。

日課坐禅によって感情や思考がいったん遮断されると、自然に意識がクールダウンし、状況を新しい視点で捉え直すことができます。

「部下が失敗したのは、自分の指示が悪かったのかもしれない」

「そもそも初めから、失敗しても仕方がないと思ってまかせたのではないか」

どんなに腹が立っていても、坐禅後はそう思い直し、自分がどう動けばいいのか、次の展開が見えることがよくありました。

 

思考や感情の波に巻き込まれたまま、物事を考えても意味はありません。

感情の流れを切ることが、習慣として身につけられるかどうか。

「不動心」を育むためには、これが外せません。

 

しかし、頭で渦巻いている感情や思考は、自分の意思で止めようと思って止まるものではありません。

感情や思考の動きを沈静化させ、意識の方向を切り替えるためには、体のほうから感情をコントロールするテクニックが必要なのです。

僧侶としては、まず坐禅をおすすめします。

一定の指導と訓練が必要ですから、興味があれば坐線指導をする寺院に足を運んでみるといいでしょう。

ただ、日常生活の中で思考や感情をいったん遮断して、クールダウンする気軽なやり方もあります。

感情からいったん降りて、「平場」に戻す方法です。

たとえば、散歩する、昔の愛読書を読む、お茶をじっくり味わう。

食事をひとりで味わって食べる、肌の感覚に意識を向けながらお風呂に入る。

そういったことを行うと、思考や感情の揺れが静まります。

心がざわざわするときは、昔のアルバムを見ると話す女性もいました。

意外かもしれませんが、草むしりや雪かきなどの単純労働も役立ちます。

単調な肉体労働を繰り返すと感情の起伏が収まり、クールダウンしやすいのです。

 

ある人が「お寺にお参りすると心が落ち着くので、感情をリセットできる気がします」と言いました。

確かに、寺社参りはもともと日常から離脱するという側面を持っていました。

しかし、「パワー」や「御利益」をもらい、「癒やされ」に行く参拝であれば、要するに「取引」です。

何か「いいこと」を当てこんでする行為では、クールダウンにはなりません。

 

クールダウンは、「気分転換」や「リフレッシュ」とは違います。

考える前の助走のようなもの。

いったん場をならして、次の試合のためのグラウンド整備をするようなものです。

ですから、新たな刺激がなく、日常的にできることにかぎります。

温泉や旅行に出かけるとリセットできそうですが、非日常の刺激はこの場合不向きです。

また、ワクワクしたり興奮したりすることもおすすめできません。

昔の愛読書といっても、胸躍るような冒険小説やファンタジーではダメです。

淡々と読める短編集や絵本がいいでしょう。

散歩や入浴、お茶や食事などでクールダウンするときは、五感に集中することが大切です。

 

今挙げたものにかぎらず、最終的に自分に合った方法を探せばいいのですが、押さえておくべき点が2つあります。

物理的にひとりになること。

そして、あまり動かずにできることです。

この技術はふだんから準備していないと、イザというときに使えません。

また、しばらくやらないと必ず錆びつきます。

習慣として、日常の中に組み込んでおくといいでしょう。

坐禅同様、これも技術として身につけていくためには、一定の訓練が要ります。

しかし、試してみる価値、自分のものにする価値はあるはずです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

最近、電車の中でキレる人を見かけます。

少し前までは、電車の中で暴れるのは酔っぱらいか、普段から暴力的な人と相場が決まっていました。

でも、最近は違ってきています。

しかも、普段はおとなしく、礼儀正しい人なのに、ついカッとしてキレてしまったという人がとても多いのです。

受けたストレスをコントロールすることができず、感情を爆発させ、普段では決してしないような行動をとってしまう、これがいわゆる「キレる」という状態です。

この「キレる」という行為、原因を簡単に言うと、「ストレス」です。

これはまさに「セロトニン神経」の機能低下が原因だと考えています。

 

セロトニンは脳に静かな覚醒をもたらします。

これは別の言い方をすれば「平常心」をもたらすということでもあります。

平常心を保つというのは、脳の切り換えがスムーズに行われ、どこも暴走も興奮もしていない状態のまま、スムーズに働いているということです。

セロトニン神経の機能が低下すると、感情や精神状態を普段の冷静な状態にキープすることが難しくなることは充分に推測できます。

そしてこのことは、キレる人が朝の満員電車よりも、夜の帰宅時に多いということからも証明されます。

 

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12

 

 

感情が揺れてもかまわない

f:id:endokoro728:20191204160526j:plain

感情が揺れてもかまわない

 

人間に喜怒哀楽があるのは、当然です。

動揺したり、怒りがこみ上げたりしても、

しなやかに揺れて、またスッと元に戻る

「不動心」を目指しましょう。

 

人は、「他人の海」で生きなければならなのですから、ストレスや葛藤がないわけがありません。

感情に左右されないほうがいいと思っている人は多いかもしれませんが、感情が揺れたり乱れたりするのは当然です。

大事なのは、その波に巻き込まれたり、流されたりしないようにすることです。

つまり、感情が「心」という器からこぼれさえしなければいいのです。

 

「不動心」という言葉があります。

これは、何があっても岩のように動かない心のことでも、まったく波立たない水面ように静かな心のことでもありません。

生きているうちは、そんな心を持つのは無理な話です。

喜怒哀楽がなければ、死んでいるのと同じですから。

私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。

ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。

ヤジロベエはどんなに大きく揺れても、決して台から落ちません。

見事なものです。

不測の事態に動揺したり、理不尽な目に遭って怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、またスッと元に戻る。

言い換えればそれは、平均台の上をバランスをとりながら歩くような感覚に近いかもしれません。

自分が決めた道から外れなければいいのですから、その間でなら、揺れてもまったくかまわないわけです。

 

なぜ人が、感情に翻弄されるのかといえば、根本的に物事の認識を誤っているからです。

感情の問題の十中八九は、ものの考え方と見方の問題です。

事態を正しく認識していれば、いったん感情が乱れてもそれに翻弄されることはありません。

感情の波に飲み込まれているときは、自分の中の何かが判断を誤らせています。

認識を誤らせるのは、自分の立場やプライドを守りたいという気持ちかもしれません。

あるいは、一つの観念に執着しているからかもしれません。

それをあらわにするには、いったんテクニカルに感情を止めればいいのです。

 

もちろん私も、感情が揺らぐときもあります。

ただ、その感情に大きく流されることはありません。

「感情の揺れ幅」を、ある程度に収める技術を身につけているからです。

感情の流れをいったん遮断するテクニックを知っていれば。ヤジロベエのように揺れても戻る不動心を培うことが可能なのです。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 

最近、電車の中でキレる人を見かけます。

少し前までは、電車の中で暴れるのは酔っぱらいか、普段から暴力的な人と相場が決まっていました。

でも、最近は違ってきています。

しかも、普段はおとなしく、礼儀正しい人なのに、ついカッとしてキレてしまったという人がとても多いのです。

受けたストレスをコントロールすることができず、感情を爆発させ、普段では決してしないような行動をとってしまう、これがいわゆる「キレる」という状態です。

この「キレる」という行為、原因を簡単に言うと、「ストレス」です。

これはまさに「セロトニン神経」の機能低下が原因だと考えています。

 

セロトニンは脳に静かな覚醒をもたらします。

これは別の言い方をすれば「平常心」をもたらすということでもあります。

平常心を保つというのは、脳の切り換えがスムーズに行われ、どこも暴走も興奮もしていない状態のまま、スムーズに働いているということです。

セロトニン神経の機能が低下すると、感情や精神状態を普段の冷静な状態にキープすることが難しくなることは充分に推測できます。

そしてこのことは、キレる人が朝の満員電車よりも、夜の帰宅時に多いということからも証明されます。

 

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

http://www.endokoro.com/libra/vitamin01.html

http://www.endokoro.com/

※ちょっと使える身近な情報をお届けしています!

https://www.facebook.com/endokorob12