悩みは人間関係の中でしか生まれない

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悩みは人間関係の中でしか生まれない

 

自分ひとりの思い込みで動いても、

人間関係はうまく調整できません。

「感情」と「今起きている出来事」を切り分けて考えれば、

問題は解決へと一歩近づきます。

 

私のもとに相談に来られる方には、2つのタイプがあります。

「今の情況がこじれて苦しい人」と「今いるところからどこかへ行きたい人」です。

両者に共通しているのは、「自分の話」がまず出てこないことです。

 

「子供が引きこもっていて、どうすればいいかわからないのです」

「長年勤めてきましたが、上司がワンマンすぎてもう限界です」

「老いた母親と同居していますが、いつもののしられていて我慢できません」

「愛情が感じられなくなったので離婚したいのに、夫が納得せず苦しいのです」

 

もちろんご本人は、「自分の問題」を話していると思っています。

しかし、どんなに深刻な問題も、そのほとんどは「自分をめぐる人間関係」についての話です。

親や子ども、配偶者、職場の人間と自分がどんな関係にあり、どのような問題が起きていて、いかに苦しいか。

初対面の相手に、ときには遠方からわざわざ胸の内を語りに来ているのですから、さぞ悩んでこられたのだろうと思いながら伺っています。

ただこのとき、その方がどんなに苦しいかはあまり気にしていません。

注意して聞いているのは、その感情の後ろにある人間関係の構図です。

その人が、誰とどのような関係にあり、どこに不具合が起きているのか。

登場人物が見えてきて初めて、問題の本質がわかるからです。

そして、なぜ今、その感情があらわになっているのかが浮き彫りになるからです。

 

あるとき、40歳過ぎの独身男性が、相談にやって来ました。

同居する母親が何かにつけ自分の生活に口を出す。

あまりにも支配的なので一緒にいるのが苦しい。

どうしたらいいだろう。

それが彼の悩みでした。

きちんとした仕事に就き、経済的にも安定している男性です。

三者から見れば、母親と距離をおけば解決すると、すぐわかります。

 

私の助言は、いたって簡単でした。

「そんなに苦しいのなら、とりあえず離れてみればいいじゃないですか。実家から独立してアパートを借りたらどうですか?」

すると彼は、驚いた顔で言いました。

「そんなこと言ったって、母はすぐに部屋まで来ちゃいますよ!」

それならいったん母親を部屋に入れ、しばらくして帰せばいいのです。泊まらせなければ、自分の時間や空間は確保できます。

しかし、「そうは言っても……」と納得した様子はありません。

本人は「苦しい」と切実に訴えます。

でもじつは、本気で母親から離れたいと思っていないのだと理解しました。

確かに、彼にとって母の存在はうっとうしいのかもしれません。

しかし、母親が食事も身の回りの世話もすべてしてくれているのですから、多少の干渉さえ我慢すれば、ラクな暮らしができているはずです。

「生活の便利さ」と「親の過干渉」のどちらを選ぶのか。

問題の本質は、シンプルです。

でも当人には「自分ではどうにもならない大問題」に映っていて、苦しくて仕方ない。

推測するに、彼には仕事や他の人間関係で悩みがあり、その鬱々とした思いを母親にぶつけていただけなのかもしれません。

 

人間関係の問題を考えるときに大事なのは、「つらい」「憎い」「嫌いだ」の話と、「今起きている出来事」とは、別のものだと理解することです。

まずその前提に立たないことには、話は始まりません。

しかし多くの人は、その2つを混同しています。

だから、堂々巡りを繰り返してしまうのです。

相手との関係を正確に把握することなく、自分ひとりの思い込みで動いても、うまくいくはずはありません。

「今起きている出来事がつらいから悩んでいるのに、2つを切り離して考えるなんてできない」と言う方もいます。

でも、「今の状況」と「こうあって欲しい状況」が違うのなら、問題を明らかに見なければなりません。

そのために、感情と状況を切り分けるのです。

 

要するに、冷静になって「考える」わけです。

たとえは「上司が嫌いで会社に行くのがつらい」というのは、性格的あるいは人間的に「合わない」のか、それとも仕事上で「うまくいかない」のか。

前者なら、仕事上の必要以外に接触する時間を極力減らし、さらに相手を適当に褒めるかおだてるテクニックを身につけると、状況はかなり改善するはずです。

後者なら、相手を仕事に関わる「条件」として配慮しつつ、当面の課題に集中するのです。

その場合、最終的な手柄を相手に譲る覚悟で臨むと、事態は好転しやすいと思います。

 

関係がいわゆる「パワーハラスメント」のレベルにまで悪化しているなら話は別です。

対処の方法も個人のテクニックだけで何とかできるものではありません。

しかし、問題が「好き嫌い」にとどまる内は、それなりの動かしようがあるものです。

 

「あきらめる」は、漢字では「諦める」と書きます。

「諦」は、「悟る」ことと同じ意味です。

ふだん使う「断念する」意味でなく、「つまびらかに見る」「明らかに見る」、仏の智慧を表します。

明らかに見るとき一番大事なのは、「苦しい」「つらい」という感情を抜きにして、事態を正確に判断できるか。

そして、問題は自分に中ではなく、人との「間(ま)」にあると気づけるかです。

人が直面する問題のほとんどが、人との「間」に存在します。

「私の問題」とは、他人と一緒に織った織物のようなものなのです。

その証拠に、この世に自分ひとりだったとしたら、悩むことはないでしょう。

他人がいて、自分がいる。

その間にはストーリーが生まれ、人は喜怒哀楽を感じます。

そしてそこに執着し、いつまでも反芻(はんすう)し続けます。

しかし、そのストーリーとは、自分自身の「記憶」にすぎません。

自分のつくった物語だけを見て、苦しい感情にどっぷりつかる前に、問題を解決するには、他人との関係を組み替えることだと見極める必要があります。

 

「関係を組み替える」と言うとき、試してみる価値があるのは、人間関係の根底にある力関係と利害関係をよく見て、そのバランスを変えてみることです。

やり方の一つは、「少し相手に譲ってみる」こと(無理して大きく譲るのは逆効果です。バランスが「崩れて」しまうから)。

もうひとつは、新たに第三者を引き込んでみること(あらかじめ十分に問題を理解してもらわなければいけません)。

これらの工夫が引き起こす変化を効果的に取り込んで、問題の解決に活かしてみてはどうでしょう。

この種の見極めができるかどうか。

これが、いま自分が問題だと思っている状況から抜け出すための大前提です。

「禅僧が教える心がラクになる生き方 より」

 

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新しい生活パターンへの対応、とくに人間関係の変化は想像以上に心身への影響が大きい。

気分が落ち込んだり一時的にうつ状態になってしまうこともあります。

とはいえ、そのうちに治ってしまうことが多いので、うつ状態でも必ずしも病気とは言えません。

しかし、落ち込みの程度が重い時や、落ち込みが長引いてしまうと、人の意欲は奪われて行動にも影響を及ぼします。

 

私たちの脳の中で司令塔のような役割をしているセロトニン神経という神経細胞が弱ってきており、軽い不調からうつ病、パニック症候群、さまざまな依存症などを引き起こす原因になっています。

この現象は大人から子どもまで老若男女に広がっています。

 

脳には無数の神経細胞があり、その神経細胞の末端からセロトニンアセチルコリンドーパミンなどの神経伝達物質を放出しています。

それらによって次の細胞に情報を伝えていき、それが網の目のようにいっせいに行われることで、情報が瞬時に伝わり、手や足などの末端まで伝達されていきます。

しかし、その伝達情報がうまくいかないと、脳が興奮して抑制が効かなくなり、イライラしたり、落ち着かなくなったりします。

イライラしやすいときは、脳の神経伝達物質であるセロトニンアセチルコリンドーパミンなどが不足していることが考えられます。

そのため、これらの材料となるアミノ酸と、アミノ酸を取り込むために必要な糖分やビタミンB12の不足を疑ってみましょう。

 

脳を酷使するときには、たくさんのビタミンB群が消費されています。

B群は脳の働きに重要な役割を担っているのです。

神経の働きを整えたり、傷んだ神経を補修したり、タンパク質をドーパミンセロトニンといった神経伝達物質に作り替えるなど、「脳力向上」のためにもB群は欠かすことができないのです。

 

ビタミンB12について?

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